こんにちは、シンです。
今回は大日山金剛院から磐田駅前の大乗院までになります。
金剛院から雲林寺まで
大日山金剛院からは県道63号を西に下り、途中県道399号に曲がり森町に向け南下します。
県道63号沿いにやまめの里という釣り堀施設がありました。
GWだからか駐車場はほぼ満車でした。
釣り初心者でも楽しめるようで、そこで釣った川魚は焼いて食べられます。
これは子どもが楽しめそうです。
龍渓山雲林寺
雲林寺の山号は龍渓山、宗派は曹洞宗です。
応永15年 (1408年) に開創されました。
元は真言宗のお寺でしたが、龍渓思案法印が不琢玄桂に譲って曹洞宗に改宗されました。
山門
本堂
写真撮った気でいましたが、寺名を写しただけでした・・・
思案坊大権現
寺自体は不琢玄桂に譲られましたが、龍渓思案法印は深く考え込んだ末、天狗の姿 (思案坊大権現) になってこの地を守ることに決め、寺の北側の小高い丘へと移り住みました。
だから人呼んで思案坊・・・、と知ったのは帰宅してから。
後の祭りでした。
北の小高い丘には未訪問なので、次行くときには忘れずに参拝します。
雲林寺から可睡斎、大乗院まで
今までの林道走行ではなく、市街地走行なので面白みがなくなりました。
でも森町名産のトウモロコシが一面に広がる畑を見て待ち遠しい気持ちになりました。
そして可睡斎から大乗寺までは県道58号を南下し、国道1号を潜って県道413号で磐田方面へと向かいます。
萬松山可睡斎
可睡斎は山号を萬松山 (ばんしょうざん)、寺号は元々は東陽軒と言い、如仲天誾によって応永8年 (1401年) に開山しました。
宗派は曹洞宗です。
可睡斎と言う一見変わった呼び名、実はそこには徳川家康の故事が関連しています。
可睡斎の呼び名の由来
家康が今川家への人質として駿府で過ごしていた幼少時、当時の住職、仙麟等膳和尚は教育係として何度か教えることがありました。
その恩を忘れなかった家康は浜松城主となった際に仙麟等膳和尚を城に招き入れます。
しかし招き入れて昔話を懐かしむ家康の前で仙麟等膳和尚は居眠りをしてしまいました。
無礼者!といきり立つ家臣を家康は静止し、「和尚、我を見ること愛児の如し。故に安心して睡る。我その親密の情を喜ぶ。和尚睡る可し 睡る可し。」と咎めることなく、むしろ喜んだのでした。
それ以降、仙麟等膳和尚は「殿の前で睡ることを許可された和尚」ということで可睡和尚と呼ばれ、寺も可睡斎と呼ばれるようになったのだとか。
総門
総門があるということで、可睡斎が大きな寺院であることがお分かりでしょう。
山門
階段の先に山門があります。
立派な山門ですね。
本堂
山門をくぐると正面に本堂があり、ご本尊は聖観世音菩薩になります。
こちらが元々のメインではありますが、可睡斎自体が秋葉総本殿であることを推しまくっているので、建物は大きいですが影は薄く感じます。
御真殿
本堂の後ろに、天狗の三尺坊大権現を祀っている御真殿になります。
明治政府の神仏分離令で秋葉山は秋葉神社で残る道を選び、秋葉寺は廃寺となりました。
追われた三尺坊大権現が身を寄せたのがここ可睡斎。
以降可睡斎は秋葉総本殿と名乗り、秋葉寺が再建されてもその立場は貫いております。
総本殿はすごいです。
守護しているのが狛犬やヤマイヌではありません、天狗Aと天狗Bです (A・Bは私が勝手につけました)。


顔をアップにして見てみましょう。
まずは天狗A。
一般的に思い浮かべるのはカラス天狗ではなく、次の天狗Bのような鼻高天狗ではないでしょうか。
三尺坊はカラス天狗らしいので天狗Aに似た姿だったのでしょう。
御真殿の中には天狗のお面などが飾られていたようですが、先を急ぎたいのと疲労で見忘れてしまいました。
これまた宿題・・・。
でも!
ここでようやく天狗のお札が手に入りました!
お札は最後に披露します。
大乗院三仭坊
大乗院は今回巡った中で一番市街地にある寺院でした。
JR磐田駅のすぐ近くです。
なので外観も近代的。
こちらは黄色のプラチェーンがかけられてあったので、側面の入り口から入りました。
ここには観広山大乗院と小笠山小笠寺の二つの寺院が並立しています。
大乗院は元々は磐田市西新町の愛宕山に、小笠山小笠寺は中泉御殿にあったと言われているので、おそらく磐田駅の南側にあったのでしょう。
どちらも諸事情で廃寺になって再建、そして今の並立の形になりました (大雑把に言うとね)。
観広山大乗院本堂
正面向かって左側に建っているのが大乗院本堂です。
三仭坊 (小笠山小笠寺) 本堂
正面向かって右側が天狗様の三仭坊大権現が祀られている三仭坊本堂になります。
三仭坊は元々は磐田市より東、小笠山の小笠神社に居られたのですね。
で、後にこちらへお呼ばれになって来た、と。
小笠山には三仭坊の弟子?の多聞天という天狗様もいますし、小笠山にある寺社は山岳信仰の代表格である紀伊山地を模しているようで、東海地方において山岳修行が盛んな場所だったみたいです。
そして高天神城という戦国マニアにはたまらない城跡もあり、とても興味深い地域です。
これは小笠山にも行く理由ができてしまいました。
さあ、残す寺院はあと2つ。
大乗院から一気に北上して天竜二俣へと戻って光明寺に向かいます。
続きます。
それでは皆さん、Have a nice day !